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高知地方裁判所 昭和44年(行ク)2号 決定

申請人

関田一

被申請人

高知県教育委員会

主文

被申請人が、申請人に対し、昭和四四年三月三一日高知県吾川郡池川町公立学校教員を免じ、同年四月一日同県土佐郡土佐村公立学校教員に任命し、同村立地蔵寺小学校教諭に補するとの転任処分の効力は、当裁判所昭和四四年(行ウ)第二号転任処分取消請求事件の判決確定に至るまで、これを停止する。

申請費用は被申請人の負担とする。

理由

一、本件転任処分執行停止決定申請の趣旨および理由は、別紙一の(一)、(二)、(三)、(四)記載のとおりであり、被申請人の意見は、別紙二の(一)、(二)記載のとおりである。

二、疎明

申請人代理人は、疎甲第一ないし第七号証、同第八号証の一ないし四、同第九ないし第二七号証を提出し、申請人本人の尋問を求め、疎乙第三ないし第六号証、同第一一、第一三、第一四号証の成立を認める、同第一二号証は表書部分の成立を認めその余の成立は知らない、その余の同号各証は原本の存在ならびに成立を認めると述べた。

被申請人代理人は、疎乙第一ないし第一八号証を提出し、疎甲第一八ないし第二〇号証の成立を認める、同第一および第七号証、同第八号証の一ないし四、同第二二ないし第二四号は原本の存在ならびに成立を認める、同第二七号証を除くその余の同号各証の成立は知らないと述べた。

三、当裁判所の判断

(一)  原本の存在ならびに成立に争いのない疎甲第一号証、申請人本人尋問の結果により真正に成立したと認められる同第一一号証、および、申請人本人尋問の結果によれば、被申請人が申請人に対し、昭和四四年三月三一日付で高知県吾川郡池川町公立学校教員を免じ、同年四月一日付で同県土佐郡土佐村公立学校教員に任命し、同村立地蔵寺小学校教諭に補するとの転任処分をなしたことは明らかであり、また、同年四月二五日申請人から右転任処分の取消を求める本案訴訟が高知地方裁判所に提起されたことは当裁判所に顕著な事実である。

ところで、右本案訴訟は地方公務員法(以下地公法と略称する)第五一条の二による高知県人事委員会の裁決を経由しないで提起されているのでその適否について考えるに、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める疎甲第二および第一〇号証、原本の存在ならびに成立に争いのない同第二二号証、および成立に争いのない疎乙第一四号証によれば、高知県人事委員会には、昭和四四年三月末日現在、昭和四〇年以降の分で不服申立事案が約六、〇〇〇件係属しているが、さらに右のうち転任処分関係の不服申立に限定してもなお合計二二六件の多きに達し、その審理状況は、着手されたものが僅かに五一件にとどまり、しかもその殆んどが一ないし二回の期日が開かれたに過ぎず、人事委員会としてもかかる事態に対処するため、受付順に旧い事案から審理を進めその結審をまつて新規年度の事案に着手するとの態度を堅持している事実が疎明される。そして、以上の状況に照らせば、申請人が仮りに高知県人事委員会に対し本件転任処分につき不服申立をしたとしても、その裁決を経由するためには相当の長年月を要することは明らかであり、申請人に対する不利益救済の途を著しく遷延せしめる結果となるから、このような事情のもとにおいては申請人において高知県人事委員会の裁決を経ないことについて正当の理由がある場合に該当するものと解するのが相当であつて、本件転任処分取消訴訟は、行政事件訴訟法第八条第二項第三号により適法に係属しているというべきである。

(二)  そこでまず本件転任処分の適否について検討する。

申請人は教育公務員であり憲法第二八条にいう勤労者にほかならないから原則的に労働基本権の保障を受くべきものであつて、その職務の公共的性格上自らこれに対応する内在的制約を内包するのは当然であるといわなければならないけれども、地公法の適用上もその団結権保障の趣旨に照らし、適法に結成された職員団体に加入し、その一員として正当な活動をする権利は十分に保障されて然るべきものである(同法第五二条、第五六条、なお、最高裁昭和四四年四月二日判決、刑集二三巻五号三〇五頁参照)。被申請人は、申請人の所属する吾川郡教職員組合(以下吾川郡教組という)の地公法上の職員団体性を争うのであるが、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める疎甲第五および第二五号証、原本の存在ならびに成立に争いのない同第二二および第二四号証、ならびに、申請人本人尋問の結果によれば、高知県教職員組合(以下県教組という)規約にはこの組合に支部を置くと明記され(同規約第七条)、また、吾川郡教組が吾川郡内の公立学校に勤務する教職員をもつて結成する連合体であつてその構成員の勤務条件の維持改善等を目的として運営されていることがそれぞれ疎明され(吾川郡教組規約第二条、第五条参照)、これによれば吾川郡教組は職員団体である県教組の組合運営上の支部であると同時に、郡下組合の連合体として独自性を有する職員団体とみることができ、従つてまた、その実体に則した保障を受けかつ尊重さるべきは当然というべきであり、右吾川郡教組が地公法第五三条による登録を経由していないからといつて右の結論を左右するものではない(地公法第五二条および教育公務員特例法第二一条の四参照)。そして前掲疎甲第二五号証によれば、吾川郡教組の組合員は、同教組の執行部役員の選挙権および被選挙権を有する旨規定されているが他にこれにつき特段の規定がなく(吾川郡教組規約第二七条、同教組役員選挙規定第六条)、また、原本の存在ならびに成立に争いのない疎甲第二三、第二四号証によれば組合の構成員が原則として組合役員たりえるのであり、その例外的取扱いを許容するのは組合の自主的な大会決議による承認があつた場合に限られることが疎明されるところであるから、郡外への転任処分により右組合の組合員たる地位を喪失する場合にはその役員資格もまた当然に喪失するものと解するのが相当である。

そこでこのような見地にたつて検討を進めるに、成立に争いのない疎甲第一八ないし第二〇号証、疎乙第三および第一四号証、原本の存在ならびに成立に争いのない疎甲第七号証、同第八号証の一ないし三、同第二二ないし第二四号証、疎乙第一および第二号証、同第七および第九号証、同第一五ないし第一八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める疎甲第二ないし第四号証、同第六、第九および第一六号証、申請人本人尋問の結果により真正に成立したと認める同第一一および第一七号証、ならびに、申請人本人尋問の結果によれば次の事実が一応認められる。

1. 申請人は、昭和二三年五月高知県公立学校教員に任命され、土佐郡本川村立長沢小学校に勤務(僻地一級約七カ年)したのを始めとして、爾来、昭和三〇年四月土佐郡土佐村立南川小学校勤務(僻地二級、三カ年)、昭和三三年四月長岡郡岡豊村立岡豊小学校勤務(一カ年)、昭和三四年四月土佐郡鏡村立鏡第一小学校勤務(二カ年)、昭和三六年四月長岡郡大豊村立大砂子小学校勤務(一カ年)、昭和三七年四月吾川郡吾北村立清水第二小学校勤務(僻地二級、二カ年、うち一カ年夫婦別居)、昭和三九年四月吾川郡池川町立瓜生野小学校勤務(僻地二級一カ年、夫婦別居)、昭和四〇年四月吾川郡池川町立池川小学校勤務(一カ年、夫婦別居)と転々とし、昭和四一年四月からは右池川小学校在籍のまま吾川郡教組の専従書記長となつていたが、昭和四四年度における県教組の機構整備のため専従役員が減員となり、吾川郡教組に専従役員を配置できなくなる関係上昭和四四年三月右専従期間満了とともに在籍校の池川小学校に復帰する運びとなつていた。

2. 次に、申請人は、昭和二三年五月新任と同時に県教組に加入し、昭和三三年四月からは勤務評定反対闘争に参加し、昭和三四年四月には土佐長岡郡教職員組合五区支部長に選出されて、勤務評定不提出による校長降格反対闘争を指導的立場で推進し、昭和三五年四月には鏡村教職員組合書記長として学力テスト反対闘争に取り組む等の活動を経て、昭和三八年四月には吾川郡吾北村教職員組合教育文化部長に選任されて地方教育委員会の学力テスト結果の学校別成績の公表に反対抗議し、同村教育長がその責任で辞任するという事態に発展させ、さらに、昭和三九年には池川町立瓜生野小学校で学校用務員組合を結成し、賃金の値上げと身分の確保等の要求をするについて中心的な役割を果し、翌昭和四〇年右用務員組合の組合長が解雇されたときも、申請人は同人が地方教育委員会に対する救済申立の手続をするにつき助力するとともにその補佐人として活動し、昭和四一年からは吾川郡教組の在籍専従の書記長兼教組執行委員を勤め、昭和四二年には吾川郡伊野町立学校での会合等の後に行なわれる勤務時間内の宴会が教育上好ましくないとしてその慣行を廃止させる運動に取り組む等積極的に組合活動を行なつていたところ、前示のように申請人が池川小学校に勤務することが予定されることから、昭和四四年度には同教組組合長をしていた申請外井上春男を書記長に、申請人を組合長とすることで了解がつき、この結果同年二月の同教組組合大会において同年度における吾川郡教組の組合長に選出され、同じく書記長に選出された右井上春男とともに同年度の執行体制を確立しようとしていた。

3. ところで高知県における教職員の人事異動については昭和三三年頃までは、それが教育活動に及ぼす影響が大であり教育効果の向上を計るため行なわれなければならないとの観点から高知県教育委員会(以下県教委または適宜被申請人という)においても、県教組役員との協議を遂げたうえ教職員個々の意思を尊重し、市町村教育委員会の意見を聞きながら右異動を実施してきたのであるが、昭和三三年六月頃教職員に対するいわゆる勤務評定が実施されるに伴いこれに対する県教組の反対闘争の高まりとともに右に述べたような慣行に基づく人事異動は漸次衰退し、昭和三五年以降においては県教組組合員らに対する夫婦別居のみならず遠距離ないしは短期間転出を含む大幅な人事異動が行なわれるようになり、その頃から実施された学力テストに反対する県教組組合員の闘争に対する処分を合わせ広範な懲戒処分が発表されるに及び、高知県人事委員会に対する不利益処分の審査請求も漸く増加の一途を辿るに至つていたところ、これを契機として、昭和四〇年二月二三日、県教委・県教組間でいわゆる勤評和解協定なるものが成立し、県教組側は停職減給処分のほか人事異動に対する四四七件の不服審査請求分を含めすべてこれを取下げ、県教委においても、自今右処分を受けた組合員であることにより不利益な取扱いをしない旨確約し、県教組としてはこれにより以後教職員の人事異動についてはその家庭生活はもちろん組合の運営上も支障を招来しないよう十分配慮されるものと解していたのであるが、その後においても郡市交流を積極的に推進するという県教委の方針の中で、とくに高知市と同一の経済圏に属する吾川郡において、しかも、それまで伝統的に高かつた組織率が急速に低下しつつあつた吾川郡教組に対して、昭和四二年三月には、専従書記長である申請人を除き、同教組の組合長ら執行部全員が郡外遠隔地へ、さらに、昭和四三年三月には、同教組副組合長および調査部長が郡外へそれぞれ転出させられるなど教職員二、五〇〇余名に及ぶ大量異動が発表されるという事態が続き、県教組内部には前記のごとき和解協定がなされているにもかかわらず、県教委がこのように県教組の支部役員をその意に反し短期間で郡外転出の対象とするのは不当労働行為であると評価しかかる事態を重視すべしとする空気が漸次醸成されて行つた。

4. かくて、県教組としては、昭和四二年来の吾川郡教組役員の度重なる配転の事実に鑑み、民主的人事異動原則の確立を期すべく、昭和四四年一月三一日、県教委に対し、一九六九年度人事異動の基本原則の確認に関する申入れを行ない、教職員の人事異動は教育の外的条件の整備を任務とする教育委員会が教育効果を高めるため行なうものであり、これを団結破壊のため濫用してはならず、その場合組合員との間で民主的に検討された客観性のある原則と具体的基準を作るべく、これにつき本人の希望と応諾を原則とする等の事項の確認を要求することとした。これに対し、県教委としては、すでに高知県が全国的にみて北海道につぐ僻地であるところから人事交流の円滑化を期すべく昭和四三年頃から、独自な立場で、勤務については僻地三年、平坦地七年とするいわゆる三―七方式の採用に踏切つていたが、昭和四四年三月末における教職員人事異動の基本方針としてはこれを徹底し、高知県の教育活動の向上を計ることを主眼とし市町村教育委員会の協力をえて郡市交流を積極的に行なうこととし、具体的には、勤務評定を重要な資料にすること、公立小・中学校教員にあつては、僻地三年、平坦地七年以上勤務した者は原則として人事異動の対象とすること、本人の希望は教育効果の向上を第一義としてその範囲内で考慮すること等の基準を定め、このほか管理職については適材適所の方針を加味することとし、以上の方針は昭和四四年二月上旬頃、市町村教育委員会にそれぞれ伝達された。

5 そして、吾川郡教組にあつても、申請人は、昭和四四年三月初旬頃、申請外寺尾俊介とともに、吾川郡池川町の教育委員長宅を訪れ、同町の教育長も同席するところで、申請人が在籍専従をやめた場合の慣例に従い、申請人をその在籍する池川小学校に復帰させるよう申し入れたところ、右教育委員長は右寺尾と学校時代同期であることから歓談のうえ、申請人の希望する池川小学校は全員が留任を希望しており定員配置の理由により復帰は困難である旨述べたので、申請人らは若しそうであるなら吾川郡教組事務所の存在する同郡伊野町立伊野小学校、または、同町立伊野南小学校を希望する旨伝えたところ、右教育委員長らにおいても一応右希望が実現するよう努力するとのことでその日は別れた。そこで、申請人としては、吾川郡内における転任であれば同教組組合長としての活動に支障がないとの考慮から、昭和三八年度来の慣例に従い県教組から県教委に対し提出の昭和四四年度組合役員名簿には、申請人が同年度の吾川郡教組組合長となること、吾川郡池川小学校に留任を希望するが若し転任の場合には右伊野小学校または伊野南小学校希望である旨を記載することとし、これ等の結果、昭和四四年三月末の人事異動において申請人の希望が考慮され、いずれにしても吾川郡外への異動が行なわれないことを期待していた。

6 その後、県教委と県教組間で、昭和四四年三月一一日から前記県教組側からの申し入れに基づき人事異動原則の確立を目ざしての話し合い(以下交渉という)が持たれ、県教委では同月一二日までは教育次長らが責任者として出席していたものの、人事異動そのものは管理運営事項であるから交渉事項ではなく異動によつて生ずる勤務条件については交渉の対象となるにすぎないとして、右申し入れを単に聞き置く程度にとどめていたが、同月一八日に至りさらに県教育長を含めて人事異動の基本方針についての確認交渉を進め、同日には県教組から県教委に対し一九六九年度の組合役員名簿を提出して地公法の諸規定に則り、組合活動に支障を来す人事異動を行なわないよう重ねて要望する等し、以上交渉の結果、県教委・県教組間に、教職員の人事異動に関し、(イ)、人事異動は教育委員会が教育効果を高めるため行なうものであり、教育の不当な支配、組合ならびに組合員に対する制裁のために行なうものでない、(ロ)、県職員と教職員は地公法上の公務員であり平等取扱いの原則により差別なく待遇さるべきである、(ハ)、人事異動についての自治省見解つまり転任のため発生する通勤住宅等の勤務条件に関するものは当然交渉の対象となるとの見解を尊重する等の基本的態度のほか、(ニ)、生活教育条件に関する具体的事項として、本人の希望を尊重する、(ホ)、同居原則を建前とする、(ヘ)、僻地から僻地への異動は行なわないよう努力する等が、また、組合活動に関し、組合活動参加を理由とする不当人事は行なわず、不当労働行為をしない等確認事項が整理されるに至り、県教委としても同月二二日、県教組執行委員長に対し、人事異動は前記人事異動方針に基づいて実施するが、県教組の申し入れに対し回答したいきさつをふまえ、市町村教育委員会とも連絡調整のうえ、尊重すべきは尊重し、配慮すべきものについては配慮するよう記載した回答書を送付した。

7 これにひき続き、県教委は市町村教育委員会が異動調書に基づき県教委に対し内申権を有するところから、昭和四四年三月末日の人事異動を当初同月二九日に発表する予定で市町村教育委員会との調整を進めたが、吾川郡ならびに土佐長岡郡地方教育委員会連絡協議会、および、高知市教育委員会において、同月二六日、県教委に対し人事異動につき特定の団体と話し合いをしないとの基本的確認事項が守られているか等数項目の申し入れを行ない教育行政問題についての県教委の方針について不満の意を表明し、これ等について十分な回答がえられるまで教職員個々の異動内申書を提出しない旨申し入れ、いわゆる市町村教育委員会の有する内申権を留保するに至つたため、同年度の人事異動が遅延する結果となり、県教委は同月三一日、申請外地蔵寺小学校教頭が吾川郡内へ、申請人を郡外地蔵寺小学校教頭として、申請外井上春男を郡外である南国市鳶ケ池小学校へ転出する処分を含め昭和四四年度人事異動として小中学校教職員六、〇〇〇余名中二、〇〇〇余名についての異動を発表するに至つた。

8 県教委は、右人事異動については、県費負担教職員を県教組の組合員であるか否かを区別せず平等に取扱つた人事であるから不当労働行為はもちろん不利益取扱いにも該当せず、かえつて、県教組のいうように同教組の組合役員であることにより人事異動上考慮することは利益取扱いとして組合に対する支配介入になるとの見解を披瀝したのであるが、県教組としては、吾川郡教組役員の連続配転により同教組の組織破壊が行なわれている事実を重視し、予想に反する申請人らの異動に対しては郡市交流の名のもとに不当労働行為を公然と行なつた人事であり、県教委が一方的に示した異動基準すら自ら否定する無差別人事であるとして、同年四月三日、県教委教育長らに対して抗議を続けるとともに、申請人および吾川郡教組としても申請人についてなされた異動は不当労働行為であるから到底承服することができないとし、同教組の組合規約にも拘らず、申請人が同教組組合長として留ることを自主的に決議承認し、同年五月代理執行体制を確立して現在に至つている。

そして右の認定に反する疎明はいずれも採用することができない。以上の事実に基づいて判断するに、被申請人は本件転任処分は専ら昭和四四年度人事異動の基本方針に則り、実施されたものであり、申請人に対する不利益取扱いの意図がなかつたことはもちろん申請人が組合員ないし組合役員であるか、否かに関係なく行なわれた適正人事であり、さらに高知県教職員人事の硬直状態の打開を計るために二、〇〇〇余名の人事異動を施行する必要から異動の対象となつた教職員が組合員ないし組合役員であるかどうか等考慮する余地がないと弁疎するけれども、前示申請人の職歴、ならびに組合員としての活動歴によれば、県教委における教職員人事の硬直化打開という人事異動の基本方針の中にあつて申請人が特にその組合活動の故に短期間異動、その他僻地勤務等の集中的な不利益を享受して来た事実は歴然としており、組織率の低下の一途を辿る吾川郡教組における昭和四二年来の連続的な役員転出に加え、昭和四四年度人事異動をめぐる県教委・県教組間の交渉の経過等に鑑みれば、申請人が在籍専従期間を終えたとはいえかえつてこれにより吾川郡教組の内情に詳しく、同年度においても少くとも吾川郡内の公立学校に留ることを希望し、さらには申請人が同年度における吾川郡教組の組合長に選出されていることを、県教委としては知悉していたとみられるから昭和四四年度の人事異動に際しては、かかる申請人の希望ならびに地位を十分配慮して不当な郡外転出を行なうことがないよう全体的な異動計画を樹立し、かつこれによる納得の人事を実施すべきであつたというべきである。にも拘らず、被申請人はかかる申請人らの正当な希望条件を充足するよう配慮することが組合に対する支配介入になるとの発想に基づき、あえて、これを非役員ないしは同教組員でない者とを形式的に平等に処理するのが公平に合致するとして本件転任処分を命ずるに至つたものと推認される。もつとも、申請人が、地蔵寺小学校に教頭として赴任していることは前示のとおりであるけれども、県教委の基本方針とする三―七方式にも副うところがない転出であることをも合わせ考えると、結局申請人の本件転任処分は教育行政の目的に副つたもの即ち教育効果の向上のため行なわれたものとみることは困難であり、むしろ、吾川郡教組役員であるために、これを吾川郡外へ転出せしめることにより同教組から排斥し、その組合での活動を抑制することを目的としてなされたものと認めざるをえない。してみると本件転任処分は、一応地公法第五六条に違反する違法の処分と考えられる。

(三)  よつて、申請人について生ずる回復困難な損害を避けるため緊急の必要があるか否かについて検討するに、行政事件訴訟法第二五条第二項にいう損害についてはこれを申請人の個人的損害に限ると解するとしても、これに関する損害の内容は、教育公務員についても認められる前示団結権保障の趣旨に照らし、組合役員が組合活動の一環としての職責を果しえないこともこれに該当すると解するのが相当であるところ(なお、青森地裁昭和四三年五月三一日決定、行政事件裁判例集一九巻五号九七五頁参照)、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める疎甲第三、第四、第一四および第一六号証、原本の存在ならびに成立に争いのない同第二四号証、疎乙第一八号証、申請人本人尋問の結果ならびに同尋問の結果により真正に成立したと認める疎甲第一一および第一七号証によれば、申請人は、三年間吾川郡教組の専従書記長として学校の立地条件、職場の状況等に至る郡内の諸事情に通じ、昭和四四年度は同教組組合長としての活動が予定されていたところ、本件転任処分により吾川郡から土佐郡土佐村へ転任することとなつた結果、申請人は組合規約上吾川郡教組の組合員たる地位を喪失し、ひいて同年度における同教組組合長たる地位に留ることも不可能となり、同教組において臨機の措置として組合大会において申請人を同教組の組合長とすることを決議、確認してその地位を維持しているが、同教組には、もはや専従役員もなく、県教組の執行委員寺尾俊介による指導援助によつても又代行機関によつても申請人組合長の職責を代理しえないばかりでなく、また、申請人が吾川郡内に住居を有しないことから、運動方針等の決定に参画することも困難であるほか、組合活動の十全な遂行ができず、吾川郡教組の組合長として組織を統括する等全般にわたる職責を果すについても現に重大な支障を来しており、これらのことにつき、申請人において大きな精神的損害を蒙つていること、次に、申請人はすでにその教員生活の大半を僻地校ないしそれに準ずる学校において過しているのであるが、前示県教委の人事異動方式にも則さない本件処分によりさらに僻地に等しい地蔵寺小学校に勤務することを余儀なくされ、現に地蔵寺の教員住宅に居住しているが、南国市前浜農業協同組合園芸課に勤務する妻および小学二年の長女との別居を強いられ、二重世帯による精神上経済上の負担損害は大きく、また、南国市の自宅から通勤するとしても、普通の交通機関では三時間以上を要するのでこれによる通勤は不可能であり、乗用車によつても大杉経由で約一時間三〇分、鏡経由では一時間三〇分以上悪路を走行する必要があり、一カ月金二〇、〇〇〇円を下らない通勤のための出費なくしては右別居の解消ができない情況であること、がそれぞれ一応認められ、これを左右するに足る疎明はない。そして以上の事実によれば、本件転任処分により申請人について生じた回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある場合に該当するものと一応認められる。

もつとも、被申請人は、申請人が高知県の教育公務員であることから県内各市町村に転任を命ぜられることは当然であり、さらに、転任処分の執行が停止された場合教育活動に重大な支障を生じ、教育界に無用の混乱を招来し、ために、公共の福祉に重大な影響を及ぼすものであると主張するのであり、原本の存在ならびに成立に争いのない疎甲第二二号証、疎乙第一五、第一六および第一八号証によれば、執行が停止された場合いわゆる過員、欠員の問題が生ずる等全体的な教員配置の関係で若干の修正が余儀なくされることはあるけれども、兼務発令ないし期限付講師の制度のほか、中間異動の事例が皆無ではなかつた等の事実が疎明され、従つてこれに対する補充的措置がないとはいえないばかりか、申請人の執行停止申請を容れることによりかかる申請が激増するとも考えられないから、被申請人における教育行政に及ぼす限られた影響をもつて直ちに公共の福祉に重大な影響を及ぼす虞ありとするには躊躇せざるをえない。

四、結語

よつて本件申請を認容することとし、申請費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

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